人の喧騒、煩わしさを感じる時間、あるいは深夜の非日常性

 昨日の夜のことです。だいたい11時を過ぎたくらいでしょうか。僕が住んでいるアパートの近くには居酒屋さんやコンビニがあり、夜になると賑わいを見せます。特にコロナウイルスの猛威がおさまりつつある現在では、楽しげな、陽気な声が響いています。お酒を飲んでテンションが上がっているのでしょうか。それとも、友達と過ごしているうちに楽しさを感じているのでしょうか。特に夜、それも深夜だと、なんだかいつもの日々が急に変わって、まるで別の世界に紛れ込んだかのように、世界から音がなくなって、自分だけが取り残されているかのように、でもより一層友達の光を感じるような。一気に日常が崩れます。

 

 

 そんな特別な、非日常的な深夜に、お酒を飲んだり、友達と過ごしたり。考えるだけでも心が躍りますね。音がなくなった世界に響く自分達の声、日々の喧騒がまるで嘘みたいなような静寂。そうした、なんでもないような日々を一瞬で変えてくれる魔法のような時間。

 

 でも、それって、その特別な静寂を作り出している人々がいるのですよね。明かりを消して、声を閉じて、目を覆って。まあ、眠るという行為によって、人々が音を意図的に消しているような時間。それが夜、深夜なのではないでしょうか。眠る時に声は必要ないですもの。自分の声を発して、誰かと会話する必要はないですもの。そうして自分1人、丸くなって夜の静けさに身を任せようとすると、自分の孤独感が強まったのか、それともまだ寝たくないのか、他人の声が気になってしまうのです。まるで自分の眠りを嘲笑うかのように、自分の孤独を馬鹿にするように、夜の静かさに飲まれることなく、いつまでも光ってようとする人々。つまりは深夜に大きな声を出して騒いでる人々。彼ら彼女らのおかげで、今日この文章を書くことができています。

 

 昼間に溜まってしまったストレスとか、言葉にならないような感情だとかを、お酒とか友達に会うことで発散、ぶちまけること自体、僕だってやることがありますし、自分にとって必要なことなのでしょう。それに深夜の非日常性、あの全ての時間が止まっているかのような空間は、どうしても日中の喧騒や煩わしさを感じているぶん、特別に、愛しく感じることでしょう。でも、その空間はわざわざ「提供」されたわけではないと思うのです。それぞれの人が、それぞれの夜の愛し方を持っていることでしょうが、そうした愛し方にはきっと分かり合えない場合もあるでしょう。昼間の喧騒を忘れたい人もいれば、いつまでも光っていたい人もいるのです。でもその光は、周りが暗い程よく見えます。他の光がある場所に行くほど、暗いところは無くなります。ですので、光は光がある方へ行くのはどうでしょうか。無理に暗闇を明るくする必要はないし、むしろ、暗闇にとっては平穏を乱す存在です。

 

 深夜という非日常に何を求めるのかは、人それぞれですが、僕は孤独を求めます、暗闇を求めます。光は朝に求めたいのです。どうか僕の暗闇が光に侵されることのないように、耳栓を購入することを検討します。