ある人の本性や裏の顔を知っていると言う人、あるいは善意の悪意

 あの人の本質、ある人の本当の性格、裏ではこんなことをやっている、など聞いてもいないのに、なんだか人のことを教えてくれるというか、押し付けてきてくれるお節介さんと遭遇したことがあります。その時の僕は、そうなんだ、程度にしか思わなかったし、自分がみてるある人、仮にS君としましょう、の全てを僕が知っているわけがないよな、と思っていたので、完全なお節介でしかなかったのですが。でもそのことを教えてくれた人にとっては、その人が知る、その人の目に、心に映るS君をわざわざ僕に教えてくれたのです。きっと善意から。

 

 

 僕が知るS君は物静かで、よく図書館に通って本を読んでいるか、大学の課題をやっているかと言うくらい、いわゆる「真面目」な性格。友達と一緒にいる機会をあまり目にすることはないけど、僕が話しかけると笑顔を見せてくれるし、彼の方から話しかけてくれもする。僕の中では、草原の中で風に揺られながらも、動物たちの休憩所になっている大きな木のイメージです。そんな彼と同じ学校出身だったと言う別の人に会いました。彼はS君と僕よりも長い時間触れ合っており、僕が知らない彼のことも知っていると言います。その人は、S君は「本当は」全然真面目じゃないんだよ、とか下ネタばっかり言うんだよ、とか大学では猫をかぶってるだけで「裏では」全然だらけてるんだよ、などなど僕が全く知らないS君のことを教えてくれました。全く頼んでもいないのに。急にS君に話しかけられた僕に、彼がさって行った後にやってきて。

 

 なんて返事をしようか迷いましたが、その場はうまく誤魔化して図書館に逃げました。「そうなんだ、全然知らなかったよ。あ、ごめんこの後用事あるから行くね!」と言う感じだったと思います。僕が知る「大学」でのS君、あの人が知る「昔のS君」。どちらも同じS君であることは間違いないのでしょうが、僕は「昔のS君」を知らないし、別に興味はありません。もしかすると、大学生活でもS君は「昔」のように振る舞う場面があるのかもしれないし、「昔」だって、家では「大学」のS君みたいに振る舞っていたのかもしれないし。僕らが知っているであろう人の性格だったり顔だったりは、その人の「全部」ではないのでしょう。誰だって、いくら家族や恋人だと言っても、「誰にも見せない自分」、と言うか「自分でも認識していない自分」があるのではないでしょうか。

 

 それを勝手に決めつけて、あいつはあんな性格だ、あんなことをやっていた、というように、その人を固定化させてしまうような悪意を含んだ言葉を持って、良かれと思って、つまり善意で誰かに「教えてあげる」こと。こうやって言葉に起こせば、なんてひどいことを!なんて思うかもしれませんが、たいていの人がこう言うことをやっているし、やられているのでしょう。噂話は撲滅されろ、と言っているわけではありませんし、そうやって誰かの情報を教えることが悪いことだとは言っていません。ただ、「本当」のことを知らないのに、勝手に知った気になって語りたがるということは、自分にとっても相手にとっても不親切なことだと思うのです。だって、一回分かった気になっちゃえば、もうそれで終わりですものね。新しい何かを発見したとしても、それはたまたまだ、とか思ってしまう。

 

 それもそれで良いのかもしれませんが、自分が納得するまでで良いのかもしれませんが、それをわざわざ人に押し付けることだけはやめていただきたいですね。